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■旅のきっかけのようなもの
飛鳥時代の歴史に興味をもったのは小学校三年生の時。
清原なつのさんの漫画にひどく心をゆさぶられて、図書館じゅうの歴史本を読みふけりました。
大化の改新についてはかなり多くの本が出版されていますが、万葉集にもその歌がおさめられている有間皇子について詳しい本は当時そう多くなく、少し寂しい思いをしたものです。
NHK特集『シルクロード』が始まったのもこの頃でしょうか。
家族全員で晩ご飯を食べながら観ていました。
当時家庭にビデオなんか無かった時代ですので、毎回真剣勝負、食い入るように見つめていました。
石坂さんの声と喜太郎さんの音楽を伴奏に、ラクダに付けられた鈴の音、砂漠をゆくキャラバンと残照、オアシスの人々が映し出されてゆく。
同じ地球上でありながら、はるかに自分にはゆくことができない場所のように思えました。
■メメント・モリ〜死を想え〜
高校時代、新任の国語の先生との出会いが更に世界を広げてくれました。
田舎の進学校、大して面白くも無い校風で、勉強よりも音楽や活字に触れることに必死で、友人達と面白い本を見つけては語り合ったものです。(わし以外は皆アタマよかったのだった…)
時折避難する美術室とその先生の授業がとにかく楽しみでした。
毎回授業の頭に、本や音楽の話をしてくれるのですが、ある日持ってこられたのが藤原新也さん『のメメント・モリ』。その1ページ、ガンジス河の中州で野良犬に食われている屍体に添えられた言葉「人は、犬に食われるほど自由だ」を見たときの事は今でも忘れられません。
『死』に対して希薄な日本。ちょうど家族を続けて亡くした自分。
その日以来、金色の表紙のその本は私にとって特別なものになりました。
*リンクページに藤原新也さんの公式ページが載っていますので是非ご覧下さい。
アジアの国々への興味が一気に花開きます。
中国、インド、チベット、タイ、ベトナム、そしてインドネシアのバリ島。
地元の大学の学生祭で食べた、留学生のパキスタンの人たちが作ったカレーとチャイが辛くて美味しくてびっくりしました。
毋親は『何であんたみたいな趣味と味覚の人間がウチに生まれたのか解らない』といいます。
学生の頃、休みの半分をアルバイトで資金集め、残りの半分でバリ島へゆきました。
幼馴染みの子がその直前にタイへ旅行し、「一人でいけば心配も倍だけれど歓びも倍になるよ」と言ってくれたこともあって、一人旅。普段通学に使っているショルダーバッグひとつでした。
■就職して
印刷関係の仕事に就いたらあらびっくり、定時何ソレの世界でした。
デザインするのはとってもやりがいがあるし、ごくたまに楽しいこともありますが、 気力と体力をすり減らす日々。
仕事はお客様あってのもの、喜んでいただき売り上げに貢献するのが仕事人としてのつとめ。
反面、自分がデザインしたものが変型され、生命力がなくなっていくのを見ているしかない日常。
二十代前半はそれでもグループ展に参加して作品を作ったり、バイクツーリングや小さなラリーに参加したりとそれなりにアクティブな趣味も持っていましたが、いかんせん長期の休みがとれない。
しかし、今から思えば、色々なことを言い訳にして、自分がもっとも欲していることを後伸ばしにしていたんだと思います。
本気でチベットへゆこう、と決意した途端に謎の痛みが左膝に起こり、検査入院で行った内視鏡手術により一時はまともに歩くことすらできなくなりました。夫や友人の支えもあって徐々に回復してきましたが、医療ミス隠しと西洋医学一辺倒の、その整形外科にいまでも大きな不信感を抱いています。
その後鍼灸や漢方、信頼できる整形の先生に出会って、ずいぶん助けてもらいました。
一番仲の良かったツーリング友達が急逝して、膝の故障で乗れなくなったバイクも弟に預けたままになっていました。
■石鹸と出会って
そんな状況を救ってくれたのが石鹸づくりです。
友人がプレゼントしてくれた前田京子さんの本からすべては始まりました。
石鹸づくりをはじめて、自分が良いと思い、制作したものをお客様が喜んでくださるよろこびをはじめて実感しました。自分がやりたいことをやるのに最早迷いはありませんでした。
■ふたたび旅立ち
旅に出るのに時間もお金も作るもの、なんとかるというのはお世話になっている画廊のママさんがかけてくれた言葉です。
大学時代の先輩に放浪の画家がおられて、画材と身ひとつで国内から海外まででかけてゆき、素晴らしいスケッチを多く描かれています。
他にもその画廊喫茶には旅人がたくさん集っています。お世話になっている雑貨屋さんも、染織作家である友人も学生の折にアジアを一年半放浪していたツワモノだったり、旅のDNAをもっている人が回り中にいます。
そしてある春の日突然に、『砂漠を見にモロッコへゆきたい』と思い立ちました。
■誕生日のことでした
2004年9月9日、三十ウン回めの誕生日。
岡山市にある超絶美味しいイタリアレストラン『ステリーナ』にて、イタリアビールでほどよく酔っぱらった夫に「プレゼントはいらんからモロッコ行きたいなあ」と切り出しました。
夫は海外旅行の経験も無く、しかも大の飛行機嫌い。このタイミングしかないわ〜と思い切ってもちかけた所、いいんじゃない?と軽くOKしてくれました。
結婚当初、新婚旅行の行き先でもめて(苦笑)私はベトナムかバリ、夫はドイツかブラジルかハワイでお互い譲らず、結局どこにもいかずじまい。
営業職でマジメな夫はお客様や会社に遠慮して、なかなか長期間(二拍三日以上…なんてつつましいの)の休みをとれなかったけれど、ずっと仕事もがんばってきたんだし、ここらで一度行ってみるのもいいかと思って誘ってみました。
■どうやって旅立つんだっけ
海外に出かけるのは十数年降り。結婚前にとったパスポートもとっくに期限切れ。
ちょうど2月は2人共に地獄のように忙しい日々でしたが、旅行のためならわたくしガンバル〜。
何は無くてもパスポート!ということで必要書類をネットでしらべ、面倒がる夫を引きずるようにして近所の写真館へ顔写真を撮影にゆき、仕事の合間をぬって住民票と戸籍謄本を申請取得。
本籍は倉敷市のままだけど岡山市と提携が始まっていたので、岡山市役所で発行してもらえてひと安心でした。
夫婦は書類を共通で使えるので、私が代表して岡山駅西口近くにある国際交流センターへ。
実はここに落とし穴が。申請時に本人確認の身分証明書が必要だったのですが、私は当然免許証を持ってきていたのですが、夫の分を忘れていた…しかも彼も営業職なので車が必要、ということは免許証も携帯しなくてはならず、また戻って借りていたらいつになるかもわからない。一瞬怒りと自分のうかつさに目の前が真っ暗に。
その場で打ったスカイメール『もういいあまりにもあんた協力してくれないし私一人で行く』(ブチ切れ気味)に驚いた夫は、即営業中にセンターまで来てくれたのでした。スマン…。
そんなこんなで申請を受け付けてもらい、一週間後の発行を待つばかり。そしたらすぐに旅行代理店に行かなければ。
今年のGWはひさびさの大型連休なので果たして航空券が取れるのかものすごく不安だったのでした。
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